川は私たちの生活環境に欠かせないものであり、古くは川を生活の源として川を中心に生活圏が形成されてきました。日本橋川は、江戸時代に給水や船運のために開削された神田川の派川として、神田三崎町から日本橋箱崎町を経て隅田川に注ぐ流路が形成され、河岸には市や倉庫が建ち並び、物流の幹線として江戸のまちを支えてきました。戦後間もない頃の日本橋川は、まだ魚が住み、夏になると子どもたちが水遊びをするほどの清流でした。しかし、国内物流は船運から鉄道や道路の陸上交通へと変わり、さらに、高度経済成長による都市化や私たちの生活様式の変化は、川筋に背を向けた街並みへと移り変わり、都市部の河川は日本橋川に限らず、急速に悪臭も放つ汚川と化してしまいました。また、日本橋川には昭和39年のオリンピック開催に合わせ、川を挟む両岸のまちが分断される形で高架道路が建設され、街の景観を壊すとともに、空の無くなった川は汚濁の原因の一つとも考えられます。こういった河川の状況は、環境保護関係法令の整備や行政の取り組みにより若干の水質改善は見られてきたものの、抜本的な対策は未だ講じられていません。
このような中で日本橋川を浄化する試みとして、平成18年1月に富士見地区と神保町地区の日本橋川に面する7町会が、地域内企業の協力を得て、約300名の参加により河川の汚濁物質を除去する働きのあるEM菌を一斉に日本橋川へ投下いたしました。日本橋川の汚濁を解決する方法として、神田川の水量を利用したり、潮の干満を利用した水交換による方策もありますが、これだけでは現在の隅田川以上の水質は望めません。戦前の清流と言われた“泳げるような川”の水質を取り戻すためには、継続的にEM菌投入を行って、更に一層透明度を高める必要があります。さらに、日本橋川の水質浄化と併せ、川の景観をより自然に近い美しいものとするため、護岸、高架道路の改善を調査研究し、必要な対応を行政に求めていくことも必要です。
このため私たちは、まず広域的かつ実践的な日本橋川浄化への取り組みを開始し、活動の社会的な認知を得て、さらに活動の輪を大きく広げ、一日も早い清流の実現と美しい景観の日本橋川を目指すため、千代田区の始動団体として、「日本橋川に清流をよみがえらせる会」を発足させるものです。(平成18年8月28日)
平成19年に入り、秋葉原地区の町会からも、当会の目標と活動に賛同を頂き、日本橋川および神田川の水質環境の改善に合同で取り組むことになり、当会も会の名称を変更いたしました。川と都市が共存しながら水の恩恵を受けるまちづくりの歩みが始まったばかりです。(平成19年3月)