千代田区三崎町三丁目三崎橋で神田川から分かれ南流、皇居北側を経て中央区へ入り新川一丁目豊海橋下手で隅田川に注ぐ。延長4.84km。現在ほぼ全流路に渡って首都高速道路の高架下を流れている。川面が開けるのは日本橋を通過後・亀島川が分岐してから河口に至るわずか500m弱でしかない。
古来隅田川とともに江戸を代表する河川であった。太田道灌の江戸城築城の頃は、小石川や江戸川(神田川中流)の水流を合わせ神田台と田安台の間を南流、日比谷入江に注ぐ平川であったのが(江亭記・東京市史稿)、江戸開府後は改削され、千代田区大手町常盤橋付近の河口が埋め立てられ流路変更され、現在の日本橋川になったと考えられる。慶長8年には日本橋架設。江戸川・新川・小名木川経由の舟運と結び、市街中心部に物資を送る経済線でもあった。
川流域は水運の便が良かったことから、江戸から近代に至るまで経済・運輸・文化の中心として栄えた。周辺には河岸が点在し、全国から江戸・東京にやってくる商品で賑わった。現在でも周辺に小網町、小舟町、堀留町など当時を思わせる地名が残っている。
(参考文献:角川日本地名大辞、Wikipedia、他)
三鷹市の井之頭池を水源として東流する。神田上水の分流。杉並区、中野区、新宿区、文京区を経て、JR水道橋駅西側で日本橋川を分流、中央区日本橋二丁目両国橋上手で隅田川に注ぐ。延長25.48km。東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀である。
神田川の名は1550年北条氏泰が用土新左衛門に与えた文書に「神田川よけの郷」と見える。かつては文京区関口の大滝橋より上流を神田上水、大滝橋下流からJR飯田橋駅付近の船河原橋までを江戸川、下流は中世までは平川、江戸期になって神田川と呼んでいた。1964年の河川法の改正でこの水系全体を神田川と称するようになった。
高度経済成長期には生活排水の流入により水質が悪化し「死の川」と呼ばれたが、周辺部に落合水再生センターなどの下水道網、下水道処理施設の整備が進み、元々湧水が多いことなどから近年は水質が以前に比べると大幅に改善し、鯉や鮎、鮒などが生息するようになった(鮎は1993年から毎年確認されている)。
(参考文献:江戸東京の川と水辺の事典、Wikipedia、他)